鏡の森

地獄を生き延びたワケありエンジニアによる手記

出会い探しについてのちょっとした考察(男性視点)

前の投稿からかなり時間があいてしまった

と言っても誰も読んでないだろうけど…

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寝たきり状態から復活して4年、仕事は順調で収入は上がったし生活レベルもそれなりになった

なのでそろそろ恋人を探すことにした

マッチングアプリや社会人サークル、街コン、ナンパなど出会い探しのためにいろいろ試したので、これらに対する個人的な感想をまとめたい

ちなみに著者のスペックはこちら↓

性別:男

年齢:20代後半

職業:ITエンジニア

身長:178cm

学歴:大卒

年収:500万円前後

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まずマッチングアプリについて

試したアプリはこちら↓

・Pairs

・With

・Omiai

・Bumble

・Tinder

・Feat.

自分のスペックは平均より高いとは思うが、競争率が高すぎて美人とはマッチしない

実際に会えるのは変わった人8割、普通の人2割といったところ

メッセージをやりとりして会う約束を取り付けるまでがめんどくさい

デートに誘うタイミングが早すぎると返信が帰ってこなくなるので慣れが必要

せっかく会う約束をしても当日ドタキャンが多い

詳しい距離がでてこないアプリだと相手の家が思ったより遠くて付き合うには非常識な距離だったりする

2年近くやってみたけど金の無駄に思えたので最近はやってない

ただBumbleなら詳しい距離が出るし無料でメッセージのやり取りまでできるので、暇つぶしがてらやるのはいいかもしれない

日本人より外国人のほうがメッセージの無視率が低いので、英語が話せるなら外国人を狙うのもいいかもしれない

 

社会人サークル

参加者の比率は男性7割女性3割ぐらいのとこが多い

当たり前だが美人は少ないし、いたとしても取り合いになる

あとこういうものに参加してて見た目がいい・尚且つコミュ力もある人はマルチの勧誘のパターンが多い

美人の連絡先が手に入った!と思って揚々とデートに誘うと会った先でアム○ェイの話をされる

精神的にぐったりするし勧誘されるまでふつうの参加者と見分けがつかないのも悪質

ただ自己紹介で職業を「フリーランス」とか「ビジネスの手伝いをしてる」という人はマルチの可能性が高い気がする

 

街コン

ひたすら参加費が高い

男性は1回5000円とか取られる

美人は来ない

マッチングアプリのほうがまだマシ

 

ナンパ

当たり前だが美人と話したいならこれが一番手っ取り早い

ただ話しかけるのに勇気がいるし、場所や時間帯によっては主婦や学生しか歩いてない場合もある

時間もお金も節約できるという意味では最も可能性に満ちてるやり方と思える

 

とりあえずこんな感じだろうか

いわゆる「出会いの場」で出会いを探してる女性って変わった人が多い気がするし競争率も高い

職場や学校で自然な出会いがあればそれでいいけど、意識的にいい出会いを作ろうとすると意外といい場所が見つからない

美人と出会えて尚且つ競争率が低いのはナンパかな

宗教と愛着障害

日本人は自己肯定感が低いとよく言われる

実際そうだと思うし、外国人と付き合ってみるとその自信たっぷりな様子に驚く

「私はネガティブだから…」と言ってる人でもSNSのプロフィールは自撮りだったりする

日本人で自撮りをネットに載せる人って少ないよね

 

愛着障害は子供の頃に親から愛情を受けられなかった人がなると言われている

これが自己肯定感の低さや対人関係の不安定さにつながっているらしい

 

対して宗教に対する信仰とは神様という絶対的な存在を信じること

「私には神様がいるから大丈夫」と信頼すること

神様という精神的な軸が親代わりになっているんではないかという考え方

 

「信じるものは救われる」ということわざはあながち間違ってはいないのかもしれない

精神医学の視点から見ても

自分探し

 

自分がどういう人間かを考えるときに頼りになるのは記憶の中の自分
あのとき何を思った、どう行動したかが自分を捉える手がかりになる
自分を直接見ることはできない
ふつうに観察してそれを記述する…みたいなやり方は通用しない
客体も観察者もともに自分なのでバイアス、認知の偏りを避けられない
記憶は自分が持つ色眼鏡でいつの間にか改竄されてる

 

できるだけ客観的に捉えようとする試みは楽しい

 

シミュレーターが唯一シミュレートできないものはシミュレーター自身の挙動

 

自分という宇宙について考える
子供の頃は宇宙のことを考えるのが好きだった
すこし大人になってから歴史が好きになった
今は自分について考えてる

 

わかりようがないことをわかろうとするのは楽しい
自分探し

英語は学ぶものではなく慣れるもの

TOEICで〇〇点取るために単語帳を暗記」

とか

「今日は英語のテキストを○ページ読んだ」

とか

日本人は英語っていうものを学問のひとつとして捉えてる

 

学校の科目が「国語・数学・社会・理科・英語」っていうふうにわかれてるからそういう考え方になるんだろうね

 

TOEICとかのペーパーテストで高得点をとるためならそれでいいのかもしれないけど、実際に役に立つ英語を使えるようになりたいならその方法だとダメ

 

「習うより慣れろ」とはよく言ったもので、いくら頭に知識ばかり詰め込んでも実践で役に立たなければ意味がない

 

正しい文法を知ってるネイティブスピーカーってじつはすごく少ない

 

みんな間違った文法を使ってるけどそれで会話が成り立ってる

 

三単現のsがどうとか、正しい活用形がどうとか、そういうことばかり気にしてるのは日本人だけ

 

律儀な国民性がそうさせてるのかもしれないけど、細かい部分にばかり気を遣いすぎて本質的なことが見えなくなってる人が多い

 

言語の目的は伝えることなので、文法にばかりこだわっても意味がない

 

アカデミックな場面で正しい文法の英語を使えばすごく評価されるけど、そこまで高度なことが要求されることは日常生活ではまずない

 

まずはひたすら英語を使う時間を増やすこと、そして英語に慣れることが実践的な英語力への近道なんだよね

 

テキストを読んでも単語をおぼえても意味がないんだよ

 

英語学習に対する考え方を変えることが英語習得への近道だと思うなあ

個人投資のセオリーって結局

 

「インデックスを長期保有」でしょ…?

結論出たらもうなにも考えることがなくなってしまった

機関投資家じゃないんだから情報も限られてるし、選球眼をみがくのなんてハナからむりだったんだ

給料上がったのはいいけど無茶してんなと思う

 

去年の年始から26歳にして初めて働き始めて今月でほぼ1年半働いたことになる

 

最初の月給は19万5千円で毎月赤字だった

職場が都心なので家賃の負荷がすごい

 

半年後に転職、21万5千円にあがり、そのまた約半年後に転職、月給は40万円ほどになった

 

未経験での中途採用でいわゆるSESでキャリアがスタートしたのでまともな研修は受けたことがない

指示されたことに対してGoogle検索でネットから情報をかき集めてその場しのぎで解決してきたのがいままでの仕事の進め方で、それは今も変わってない

 

エンジニアの技術情報はGoogle検索と英語力の組み合わせで調べつくすことができるのでいうほど困ってはいないのだが、自分のこの仕事のやり方があっているとも思えないのだ

 

とはいえ初めの2社はSESで、今の職場にも派遣社員として参画している

そのためなんでもかんでもまわりの人に聞くわけにはいかない

 

薬の副作用で死にかけてたときもそうだったが、人は助けてくれない

自分でなんとかしなくてはいけないのだが、学歴がきれいで新卒で採用されて研修もしっかり受けられて、順風満帆な人たちを見て嫉妬心がわかないかと言われるとわくに決まってる

 

家賃5万5千円で夏は暑く冬は寒い部屋で一人で暮らしてるわけで、両親も兄弟も助けてくれない環境だから世の中を恨んでる

 

生まれつきの頭の良さだけでなんとかここまで来たけど、こういう場当たり的な仕事をずっと続けたいわけではないのでなにかしら別の道をそろそろ考えたい

 

薬を飲んでた頃はなにもできなかったので年齢なりの社会経験・人生経験をもってないのだ

 

友達もほしいし彼女もほしい

 

薬をやめてやっと社会に出たと思ったら同年代の元同級生たちはとっくに結婚して子供もいる

 

精神的に未熟なままアラサーと言っていい年齢になってしまった自分と、その原因になった精神科の医者が嫌いでたまらない

 

愛されたいという欲求はあるが、同時に人嫌いな自分もいてどうすればいいのかわからない

 

日本人の「褒められたい」病

 

異性にモテるためには「褒めろ」「とにかく同意しろ」とよく言われる。

実際それは効果的だと思う。

 

日本のテレビ番組を見てても、外国人が日本の文化を絶賛する内容のものが多い。

外国人と初めて会ったときに「日本の好きなところはどこですか?」と聞く人は多いと思う。

日本に慣れてる外国人は当たり障りなく「食べ物」とか「文化」とか言ってくれるんだろうね。

でも真面目で誠実な外国人はそういう場面で気のいいことを言ったりはしない。

「どの国にもいい部分と悪い部分がある」っていうのが外国人の本音じゃないかな?

 

外国人にとって日本っていうのは数ある国のひとつに過ぎない。

「日本が好きだから」って日本に来る外国人なんていまどきいるのだろうか?

まだ中国を好きな人のほうが多いんじゃないかな。

 

いずれにせよ、日本人は自意識過剰なんだ。

「褒められたい」って欲望がにじみ出てる。

自己肯定感を上げるために外国人を利用するのはよくない。

「私のどこが好き?」って毎日のように聞いてくるメンヘラ女と一緒だ。めんどくさいんだ。

 

この国には基本的に自信がない人が多いんだと思う。

だから優しくされたいし、優しくしてくれるひとに弱い。

若手社員は職場で優しくされないと嫌になってすぐ辞める。

中年のおじさんはコンビニでの接客が気にいらないと怒鳴り散らす。

若い女は男に優しくされてすぐに股を開く。

 

でも、人の優しさには理由がある。

とくに初対面で優しくしてくるような人には気をつけるべきだし、きれいごとしか言わない人にも気をつけるべきだ。

 

日本の過剰サービスとか同調圧力とか保守的な社会とか、あらゆる問題ってこの自己肯定感の低さに由来してる気がしてならない。

 

無条件に愛されたいって気持ちは誰もが持ってるものだけど、無条件に愛してくれる人なんかこの世界のどこにも存在しないのだ。

 

自分の力だけで自己肯定感を養う方法ってどこかにあるんだろうか。

あるんだとしたら知りたいな。