「自己と他者の違い」イコール「自己」なのではないかという話
たとえば「やさしい人」がいたとする。
なぜその人はやさしいといえるのだろうか。
もしその人が電車で老人に席を譲ったのだとしたら、その人は確かにやさしいと思う。
しかし、まわりが全員老人に席を譲る人ばかりだったとしたら、そのやさしさは特別なものではなく当たり前のものになってしまう。
老人に席を譲ることがあたりまえではない世界でのみ、老人に席を譲る人はやさしいといえる。
人の評価というのは相対的だ。
その人のまわりにいるその他大勢よりやさしい行動をとればその人はやさしい人だし、やさしくない行動をとればやさしくない人なのだ。
別の人と比べることでその人がどういう人かの評価ができる。
もしまったく人と関わったことがなく、自身以外の人間を知らずに育った人がいたとするならば、その人は自身をどういう人間だと思うのだろうか?
比べる対象がいなければ自身がどういう人間なのかはわからないままだ。
この話がタイトルにつながる。
自己と他者を比べ、そこに違いを見出して初めて自己という人間を認識するのではないかと。
自己と他者の境界、つまり「自分」と「自分とは違うなにか」との接点が自己を明確にしてくれるのだ。