熱中できるものがなにもない
仕事を始めた頃は理想にかられて意識高く働いていた。
PDCAサイクルを回すとか経営者目線を意識するとか。
ただ実際に働いてみると成果なんてものは大して評価されず、それ以外のどうでもいい要素で給料が上がっていった。
転職するときは前の現場でやった仕事を大げさに面接官に伝えれば優秀な人材だと勘違いしてくれていい額の給料を提示される。
零細企業なら社長と昼飯でも食べて自分のがんばりをアピールすると手当を増やしてもらえたりする。
PDCAサイクルなんて回さなくても、経営者目線なんて意識しなくても、そういうある意味汚いやりかたで給料ってものは増えていく。
本屋に並ぶ意識高めなビジネス書、自己啓発書なんてものは所詮金儲けのための情報商材でしかない。
それを買って実践しても給料なんて増えない。本屋の店主と出版社が喜ぶだけ。
人々の成長欲求、もとい射幸心に漬け込んだビジネスに乗せられているだけなのだ。
おもえば子供の頃、母は自分を受験塾に通わせたり習い事にいかせたりして、自分を優秀な人間にしようと躍起だった。
結局高校生の頃にメンタルを病んで中退、長い空白期間ができた。
そのあいだは勉強なんてほとんどせず、だらだらと生活していた。
高校に行ってないので微分積分がどういうものかわからないし、世界史に至ってはまったく履修していない。
そんな人間が20後半になってからはじめて就職し、2年目に入る頃には月収40万ほど稼いでいる。
勉強とは、成長とは、自己啓発とはなんなのだろう。
我々は学校で何を学ぶのか。
子供を追い込み自分を追い込み、成長というふわっとした概念を追いかけることに意味はあるのだろうか。
もういまさら成長というものは追いかけない。
熱中できるものなどなくてもいい。
ただ、平和すぎる日常にちょっとしたスパイス、もとい刺激が欲しいと思う今日このごろである。